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sakaT’s diary

不登校生徒が増えてきました。フリースクールが人気だとか・・・。学校は生徒にとってつまらないところ。うざいところ。・・・なのでしょうね。

340《「懲役3年」》

 愛知県の裁判所で、96歳の母親に懲役3年の実刑判決が言い渡された。重度の知的障害者だった63歳の四男と無理心中を図り、殺人の罪に問われていた。四男が生後6ヶ月の頃、母親は彼をおぶったまま自転車で転んだ。その後、知的障害があると診断された。小学校は2年遅れで出た。転んだせいだと母親は思い続けた。36歳の時、施設に入った。夫と死別した母親は、面会日には欠かさず息子を訪ね、盆や正月は自宅で迎えた。母親は8年前に長男一家と同居した。体が弱くなっていた。遠慮が先に立ち、四男の帰省期間を短くした。できるだけ自室で、二人だけで過ごした。去年の暮れ、正月を一緒に過ごすため、長男が来るまで四男を連れ帰った。元日、母親は四男と二人だけで夕食をとり、自室に戻った。息子の寝顔を見ながら「体が衰え、面倒を見られなくなるのではないか」「自分だけ死んだあと、一人だけ残しても仕方がない」などと思い悩んだ。翌早朝、寝間着の腰ひもで首をしめた。それから遺書を書き、自分も同じ腰ひもで首をつった。だが死にきれなかった。実刑について、判決はいくつかの理由を挙げた。四男に将来に経済的な心配はそれほどなかったこと。彼の施設は死ぬまで入所できたこと。本人は簡単な身の回りの世話はできたし、周囲に迷惑もかけなかったこと。母親が誰にも相談しなかったこと。「あえて殺害する切迫した状況ではなかった。息子ももっとも信頼していた母親が、命を私物化した。動機は独りよがりだ」。判決はそう断じた。(天声人語より)

償い 作詩・作曲:さだまさし

 月末になると ゆうちゃんは薄い給料袋の封も切らずに必ず横町の角にある郵便局へとび込んでゆくのだった。仲間はそんな彼をみてみんな貯金が趣味のしみったれた奴だと飲んだ勢いで嘲笑ってもゆうちゃんはニコニコ笑うばかり僕だけが知っているのだ彼はここへ来る前にたった一度だけたった一度だけ哀しい誤ちを犯してしまったのだ。

 配達帰りの雨の夜 横断歩道の人影にブレーキが間にあわなかった 彼はその日とても疲れてた。

 人殺しあんたを許さないと彼をののしった。被害者の奥さんの涙の足元で彼はひたすら大声で泣き乍らただ頭を床にこすりつけるだけだった。

 それから彼は人が変わった。何もかも忘れて働いて働いて償いきれるはずもないが せめてもと毎月あの人に仕送りをしている・・・・

 「それはそうなんだけど・・・」と思う事がある。いけないことはいけない。でも、何か釈然としないことがある。そんな時、人としての関わりが足りなかったのではないかと思える時がある。

 武田信玄は、城に住まなかった。なぜなら、「人が城、人が石垣、人が堀」にもなると考えていたからだ。人と付き合っていくということは、いけないこといけないでは片付けられないものがあるのかもしれない。世の中は、そう簡単ではない。

茂木冴子さん

 今日の道徳はいつものより人について考える授業だった。人は生きていれば過ちを犯すのかもしれない。失敗は良いと思う。けれど、大きな過ちは許されないと私は思う。失敗は諦めなければいつか「成功」という道が見えてくる。けれど、「過ち」はいくら償っても道は見えない。やってしまった過ちは取り戻すことなどできやしない。けれど、その暗い世界の中で過ちを犯した人を助け、救い出せるのは人しかいないと思う。やっぱり暗い世界でも最後は「人」で終わる。人は温かいし、自分を救って助けてくれる。改めて人って良いなと思った。けれど、裏切りは人を突き放すものであって自分も傷つけられる。やっぱり人を大切にしなければいけない

Aさん

 私も今までたくさんの失敗をしてきたし、これからもすると思うけど、その失敗がどんなに小さなものだとしてもちゃんと反省をして、次にまた同じ事を繰り返さないようにしたいです。

 私は、部活動で過ちを犯しました。いろんな人に謝りに行ったり、お母さんにもつらい思いをさせてしまったと思って、自分のやったことにすごく反省したし、後悔した。その時、私は家族に救われたのもあるけど、部活の子の優しさに救われたと思います。人を救ってくれるのは人なんだなと思いました。だから私は今日の道徳でもあったように、もう絶対に人を裏切るようなことはしたくないと思いました。

沼川西中学校     2年4組 学級通信 平成26年2月24日(月)№47

※生徒名、学校名は、実名ではありません。