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sakaT’s diary

不登校生徒が増えてきました。フリースクールが人気だとか・・・。学校は生徒にとってつまらないところ。うざいところ。・・・なのでしょうね。

301《道徳から》

第17章 「道徳編」

 

 最近、「疲れたので学校に行きたくない」という生徒が増えたように思います。「じゃぁ、家にいたいの?」と聞くと、実は絶対に家にいたいと言う訳でもない・・・・。結局何がしたいのと話を続けてみると、よく分からないと続いていきます。
  そういう生徒は、学校に居るだけで気持ちがいっぱいいっぱいになっていくようです。友達と話を合わせなければならないことやチャイムで行動すること、指示に従って授業を進めなければならないことなどをしていると、むしゃくしゃする。あるいは、もう放っておいて!と思えるようになるんだそうです。
 でも、そんな生徒でも校外へ出て気分転換の時間を設けたり、何でもない話をしていると、いつの間にか笑顔が出てきます。学校が強要している?束縛?が嫌なのでしょう。

 ある人がこんなことを言っていました。学校ほど社会から離れた空間はないと。学校で行われている一つ一つが、非現実的であると。

 生徒は人間関係で別の仮面を持つということを、以前話題にしました。そうしないと生きていけないということでした。いじめがなぜクラスの中や同じ部活動の中で起こる理由についても触れました。人間関係で別の仮面を持つ。そうしないと生きていけないのです。

 そんな張り詰めた状況にありますから、敏感な子は本当に疲れるのでしょう。

 ・・・・・ということは、こんな生徒がいるクラス、こんな生徒がいる部活動には・・・・。
 教師は、気を緩めてはいけないと思うのです。

 301《道徳から》

 オーストラリアのロン・クラークは不思議な選手だった。26歳の時、一万メートルで世界新を出し、35才で引退するまで走り続けた。世界各地でレースをすること313回、うち203回勝った。そんな彼だがオリンピックや英連邦大会などの大レースでは一度も勝てない。なぜ、勝てなかったのか・・・。
 ある大会でクラークは尊敬するジョン・ランディと走ったことがある。しかしクラークは転倒し、スパイクで怪我をしてしまう。走ることをやめたランディに対してクラークは「早く走ってください」と言った。先頭から既に55m遅れていたが、懸命に走ったランディはその差を巻き返し、劇的な勝利を収めたのだった。この時にクラークは「勝利よりフェアプレーの大切さ」を身にしみて感じたという。
 その後、遠征先でオリンピック金メダル4個を持つ名選手ザトペックと意気投合した。2人が空港で別れる時にクラークはザトペックから小箱を受け取る。離陸した飛行機の中で小箱を開けたクラークは仰天した。中には「これは友情から差し上げるのではなく、君がそれに値する人間だからだ」と刻み込まれた金メダルが入っていたのだ。

松本耕介君
 自分はこの話を聞いて、クラークさんはすごいと思いました。もし、自分がマラソン選手だったら、勝つためにはスタミナを温存してゴール前で逆転する方法を選んだと思います。だけど、クラークさんは、このことを軽蔑しています。なぜなのか考えてみればクラークさんは正々堂々と走りたかったのかも知れません。このことを聞くと自分も正々堂々とやりたくなります。同じようにクラークさんと走った世界中の選手は駆け引きをしないクラークさんの偉大さを認めたのかも知れません。最後に僕は、クラークさんのように正々堂々と生きていきたいです

長野明美さん
 私は「クラークが最後に手にした金メダル」を読んで、ロン・クラークという人が最初から最後まで全力を尽くして走ったというのを知ってびっくりしました。私は持久走などの長距離はいつも最後のゴール前で前に走っている人を追い抜くのでロン・クラークとは反対の考えでした。でも、このプリントを読んでみるとロン・クラークは、「勝つよりフェアプレーの大切さ」という駆け引きをしない人ということが分かりました。最後の部分でザトペックがクラークに自分の取った金メダルをあげたのも他の人と同じように駆け引きを一つもしない彼の偉大さを認めていたからだと思う。

福富美崎さん
 ロン・クラークは「スタミナを温存しておいてゴール前で逆転する」やり方を嫌ったらしいけど、私はそのやり方を悪いとは思わないし、正々堂々と勝負をして良いなとも思わない。クラークの考え方は立派だと思うけど、私は頑張ったときにはその分結果も欲しいと思うのは普通だろうし、クラークならとれたはずだと思う。オーストラリアの新聞が書いたように「どんな相手でもたたきのめす非情さ」が彼には必要だったと思う。

緑山中学校 2年学年通信 平成16年2月13日(金) №43

※生徒名、学校名は、実名ではありません 

 道徳の王道ともいうべき「価値の類型化」。

 例えば、廊下にゴミが落ちていたとします。そのゴミを拾ったのは、A君、B君、C君だったと想定してみましょう。3人とも偉いです。ゴミを拾ったのですから。ところが、なぜ拾ったのか聞いてみると、A君は、「向こうから生徒指導の先生が来たので、拾わないとまずいなと思って拾いました」と。B君は、「向こうから、恋い焦がれているDちゃんが歩いてきたんです。これは拾うしかないっしょ!」と。そして、C君は「え、何も考えてないですよ。当たり前じゃないですか、ゴミを拾うなんて」と答えてくれました。ゴミを拾うという行為も、実は人の心情を分析すると、なぁぁんだというものもあるし、純粋にすごい!と思うことが出来るものもある。これが「価値の類型化」です。

 道徳は、自分が考えていた価値よりもより高い価値に気づかせることに意義があります。面白いでしょ。道徳って!

 

 平成24年度 1年1組の「夢の木」

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