sakaT’s diary

不登校生徒が増えてきました。フリースクールが人気だとか・・・。学校は生徒にとってつまらないところ。うざいところ。・・・なのでしょうね。

299《~道徳から~》

 町から町へと移動するタウンバス。一人の老人が間違って急行バスに乗ってしまった。降りるはずの町に止まらない事に気づいた老人は、バスガイド嬢に降ろしてくれないかと懇願する。バスガイド嬢は「一人だけ違う場所で降ろすわけにはいかない」と話す。老人は、バスガイド嬢の話を聞き、ふるえだしてしまった。ところが、バスガイド嬢は、老人から離れ、運転手と話し出していまう。老人とバスガイド嬢のやりとりを見ていた他の乗客は、バスガイド嬢のつれない仕草にイライラしだした。老人が降りようとしていた町はみるみる近づいてきた・・・。
 その時だった。運転手と話をしていたバスガイド嬢がいきなりアナウンスをした。「峠が近づいてきましたので、ブレーキ点検をします」と。そして急にバスを止め、扉を開けた。バスガイド嬢は、老人に小さく合図を送り、老人をバスから降ろした。老人は何度も会釈をしてバスを降りていった。乗客は、バスガイド嬢と運転手に向かってあたたかい拍手を送った。(道徳副読本より)

島谷晴美
 ガイドさんと運転手さんは、頭がいいと思う。もし、私がホロ町に降りるおじいさんだったら、そんな場面なら嬉しいでしょう。けれど、私が60、70、80歳のお年寄りになったら、お年寄りだからおじいさんおばあさんだからという理由で、親切にはしてもらいたくないです。この世の中には、一人くらいいると思います。だって年をとっても若くいたいから、年寄りだからという理由で親切にして欲しくないです。老人福祉って難しいな。

福富美崎
 この話を読んで、老人福祉は難しいと思った。ガイド嬢さんが、最初に言っていたように規則だし、他の乗客に同じ事を言われたら断れなくなってしまうから私は「降ろさないほうがいい」と思っていた。けれど、おじいさんには特別な用事があるらしいし、他の乗客の人たちが「降ろしてあげたいと思うのはわかる。」話の中ではなく、本当にこのような場面になったらおじいさんを降ろしてあげたいと思うかも知れない。最後にガイド嬢さんと運転手さんがブレーキテストと言っておじいさんを降ろしたことはすごいと思ったけれど本当にこのような場面になっても簡単には降ろしてあげることができないので難しいと思う

恩田隆
 これを読んで僕はおじいちゃんの気持ちもガイドさんの気持ちもどちらも分かる気がする。おじいちゃんの時間に間に合わないことや自分の足では行けないということも分かる。でも、ガイドさんの安全な場所へ連れて行かなければならないことやここで降ろすとみんなが降りたがるから降ろせないという気持ちも分かる。僕はどちらが正しいとかは決めたくありません

緑山中学校 2年学年通信 平成15年9月17日(火) №27

※生徒名、学校名は、実名ではありません

 

341《「懲役3年」》
 愛知県の裁判所で、96歳の母親に懲役3年の実刑判決が言い渡された。重度の知的障害者だった63歳の四男と無理心中を図り、殺人の罪に問われていた。四男が生後6ヶ月の頃、母親は彼をおぶったまま自転車で転んだ。その後、知的障害があると診断された。小学校は2年遅れで出た。転んだせいだと母親は思い続けた。36歳の時、施設に入った。夫と死別した母親は、面会日には欠かさず息子を訪ね、盆や正月は自宅で迎えた。母親は8年前に長男一家と同居した。体が弱くなっていた。遠慮が先に立ち、四男の帰省期間を短くした。できるだけ自室で、二人だけで過ごした。去年の暮れ、正月を一緒に過ごすため、長男が来るまで四男を連れ帰った。元日、母親は四男と二人だけで夕食をとり、自室に戻った。息子の寝顔を見ながら「体が衰え、面倒を見られなくなるのではないか」「自分だけ死んだあと、一人だけ残しても仕方がない」などと思い悩んだ。翌早朝、寝間着の腰ひもで首をしめた。それから遺書を書き、自分も同じ腰ひもで首をつった。だが死にきれなかった。実刑について、判決はいくつかの理由を挙げた。四男に将来に経済的な心配はそれほどなかったこと。彼の施設は死ぬまで入所できたこと。本人は簡単な身の回りの世話はできたし、周囲に迷惑もかけなかったこと。母親が誰にも相談しなかったこと。「あえて殺害する切迫した状況ではなかった。息子ももっとも信頼していた母親が、命を私物化した。動機は独りよがりだ」。判決はそう断じた。(天声人語より) 


償い     作詩・作曲:さだまさし

 月末になると ゆうちゃんは薄い給料袋の封も切らずに
 必ず横町の角にある郵便局へとび込んでゆくのだった
 仲間はそんな彼をみてみんな貯金が趣味のしみったれた奴だと
 飲んだ勢いで嘲笑っても ゆうちゃんはニコニコ笑うばかり
 僕だけが知っているのだ 彼はここへ来る前にたった一度だけ
 たった一度だけ哀しい誤ちを犯してしまったのだ
 配達帰りの雨の夜 横断歩道の人影に
 ブレーキが間にあわなかった 彼はその日とても疲れてた

 人殺し あんたを許さないと 彼をののしった
 被害者の奥さんの涙の足元で
 彼はひたすら大声で泣き乍ら
 ただ頭を床にこすりつけるだけだった

 それから彼は人が変わった 何もかも
 忘れて 働いて 働いて
 償いきれるはずもないが せめてもと
 毎月あの人に仕送りをしている・・・・

 「それはそうなんだけど・・・」と思う事がある。いけないことはいけない。でも、何か釈然としないことがある。そんな時、人としての関わりが足りなかったのではないかと思える時がある。

 武田信玄は、城に住まなかったなぜなら「人が城、人が石垣、人が堀」にもなると考えていたからだ。人と付き合っていくということは、いけないこといけないでは片付けられないものがあるのかもしれない。世の中は、そう簡単ではない

茂木冴子さん
 今日の道徳はいつものより人について考える授業だった。人は生きていれば過ちを犯すのかもしれない。失敗は良いと思う。けれど、大きな過ちは許されないと私は思う。失敗は諦めなければいつか「成功」という道が見えてくる。けれど、「過ち」はいくら償っても道は見えない。やってしまった過ちは取り戻すことなどできやしない。けれど、その暗い世界の中で過ちを犯した人を助け、救い出せるのは人しかいないと思う。やっぱり暗い世界でも最後は「人」で終わる。人は温かいし、自分を救って助けてくれる。改めて人って良いなと思った。けれど、裏切りは人を突き放すものであって自分も傷つけられる。やっぱり人を大切にしなければいけない。

Aさん
 私も今までたくさんの失敗をしてきたし、これからもすると思うけど、その失敗がどんなに小さなものだとしてもちゃんと反省をして、次にまた同じ事を繰り返さないようにしたいです。
 私は、部活動で過ちを犯しました。いろんな人に謝りに行ったり、お母さんにもつらい思いをさせてしまったと思って、自分のやったことにすごく反省したし、後悔した。その時、私は家族に救われたのもあるけど、部活の子の優しさに救われたと思います。人を救ってくれるのは人なんだなと思いました。だから私は今日の道徳でもあったように、もう絶対に人を裏切るようなことはしたくないと思いました。

沼川西中学校     2年4組 学級通信 平成26年2月24(月) №47

※生徒名、学校名は、実名ではありません

 大人になると、「分かってはいるけど、何だかしっくりこない」という感想を抱くことがある・・・。

 道徳の授業は、発達段階に応じて行われます。そのため、学年によって違う結論になることが往々にしてあります。例えば、小学校低学年の時は、けんかをしてもお互いに「ごめんね」と言いつつ「握手」をさせただけで二人とも満面の笑みをこぼし、一件落着という場合がありますが、中学生にそんなことをして仲直りさせようとしても何の進展もないどころか、担任の思考を疑われます。

 中学生頃になると、子どもの世界も激しい情報戦の渦中にあるようです。裏の裏を読んで行動しないと学校生活を渡り歩くことは出来ない、といいます。正直に「それは違うよ」なんていった日には、総スカンを食らうこともあるとか。そんな生徒たちですから、上にある資料を提示しても共感する生徒が多いのだと思います。

 だから、学級で起こった問題も生徒と「大人の話」をして解決することが出来るようになります。

 私のクラスでは、よく井戸端会議が開かれました。「誰が」と言うこともなく第三者の関係ない生徒が集まって、教室で起こった問題を解決しようと話し合いが行われます。

 それはそうです。道徳でこんな資料を扱っているのですから。

 道徳。生徒の心を大きく成長させるために必要不可欠な時間だと思います。

 


H264_償い 「主 文 被告人両名を懲役3年以上5年以下に処する。」